クリーブランド・ブラウンズの英雄と言って良いRBジム・ブラウンが5月18日お亡くなりになりました。享年87歳。


 私はNFLの歴史には疎い人間なのですが、名前とブラウンズの英雄であることは知っていた選手でした。なのでこれから書くことはWikiから拝借した知識で語っていきますので、ご了承ください。

※日本Wikipedia

※アメリカWikipedia


 ジム・ブラウンはまだAFL・NFLが統合されていない時代の1957年NFLドラフト1巡目6位でクリーブランド・ブラウンズに入団 どうやらNBAドラフトでも指名されていましたがNFLを選んだそうです。

 新人時代に1試合237ヤードランの新人ラン記録を作りました。この新人ラン記録は40年間破られなかったそうです。キャリア1試合でのラン記録は2007年RBエイドリアン・ピーターソンの296ヤードが1位で ジム・ブラウンのこの記録は21位タイとなっています。新人ながらシーズンMVPを獲得

https://www.pro-football-reference.com/leaders/rush_yds_single_season.htm

 次の1958年には12試合時代のシーズン最長ラン記録である1527ヤードを記録2年連続シーズンMVPを獲得しました。

 1963年シーズンにはブラウンズのフランチャイズ記録となる1863ヤードを記録 これはシーズン14試合時代の記録でもあり、1試合平均133.1ヤードというとてつもない記録を作りました。1973年にO.J・シンプソンが1試合平均143.1ヤードという記録をつくり抜かされましたが、それでも未だNFL2位の記録として残っています。

https://www.pro-football-reference.com/leaders/rush_yds_per_g_single_season.htm

 1964年シーズンにNFLチャンピオンシップで優勝しました。(これはまだAFLと統合される前でスーパーボウルが開催される前のことです。スーパーボウルは1967年が第1回目で、ブラウンズは残念ながらまだスーパーボウルは制覇したことはありません。てかスーパーボウルに出たことすらありません。)

 1965年はキャリア最後のシーズンとなりましたが、1544ヤード 17TDという素晴らしい成績を残し3度目のシーズンMVPを獲得し引退をします。新人からプロボウル9年連続選出 8回のオールプロ選出というとてつもない記録を作ったまま、29歳の若さで引退となりました。
 
 引退理由は1966年シーズンのキャンプ前に俳優業として撮影に臨んでいたが、悪天候により撮影が遅れキャンプを序盤欠場 それに憤慨したオーナーが1週間欠席するごとに罰金を課すと脅したことにより、最後の契約年を前に引退を発表したと言われています。ほんとなんでしょうね、今のブラウンズを見ているようなゴタゴタな残念な最後ですね・・・

チーム GP ラン レシーブ
回数 ヤード TD 回数 ヤード TD
1957年 CLE 12 202 942 9 16 55 1
1958年 CLE 12 257 1527 17 16 138 1
1959年 CLE 12 290 1329 14 24 190 0
1960年 CLE 12 215 1257 9 19 204 2
1961年 CLE 14 305 1408 8 46 459 2
1962年 CLE 14 230 996 13 47 517 5
1963年 CLE 14 291 1863 12 24 268 3
1964年 CLE 14 280 1446 7 36 340 2
1965年 CLE 14 289 1544 17 34 328 4
通算 118 2359 12312 106 262 2499 20
 93試合出場で100TDを記録したのは当時の最速記録で 2006年シーズンにラディニアン・トムリンソンが89試合で達成するまで、この記録は維持されました。

 キャリア1試合平均104.3ヤードはNFL記録で唯一の100ヤード超えで、37年未だ破られない記録として残っています。

https://www.pro-football-reference.com/leaders/rush_yds_per_g_career.htm


 NFL75周年記念チーム NFL100周年記念チーム 1960年代オールディケイドチームにも選出され、NFLで多大な功績を残しています。あと2020年にESPNからカレッジフットボール150周年で史上最高の選手として選出されています。

 ちなみにこのブラウンズは1996年にクリーブランドからボルチモアに移転となるのですが、市民運動のおかげでクリーブランドにブラウンズという名前とブラウンズのチームの過去記録を残したままとなり、選手はボルチモア・レイブンズに行きましたが、3年後の1999年新生クリーブランド・ブラウンズとしての過去の記録を残したままエクスパンションドラフトを行い再始動、ジム・ブラウンの記録は現在もクリーブランド・ブラウンズの記録として残ったままとなっています。

 そしてジム・ブラウンの背番号32は永久欠番となったまましっかり残っており、クリーブランド・ブラウンズスタジアム(ファーストエナジーは今年から命名権がなくなった)にも銅像が建てられているブラウンズのレジェンドです。

 引退後は主にやめた理由となってしまった俳優業をしており色々な映画に出演、日本ではこちらのほうで有名人であったようです。大変エンタメに疎くて申し訳ありませんが、俳優業のほうはよく知りません。



 ちなみに唯一見たドラフト・デイにも本人役として出演しています。見たのに出てたような気がするけど覚えてない。ほんとごめんなさいエンタメ情弱者です。

 その他にもNFLのコメンテーターのUFCのコメンテーターも努めていたそうです。ラクロスでも殿堂入り。黒人の公民権運動にも参加しており、モハメド・アリの徴兵拒否のライセンス剥奪を撤回させるための会をつくり主催したそうです。

 この偉大なレジェンドにブラウンズがスーパーボウルで戦っているところを1度でも見てもらいたかったですね。それが本当に残念です。ご冥福をお祈りします。